260年もの間、大した争いもなく天下泰平だった江戸時代。また、鎖国といえども適当に外国との交流もあり、日本独特の文化が開花した、いい時代だったと思います。
武士は慣習や規律で縛られ、農民は多額の年貢を強いられていましたが、とりわけ、江戸に住む町人たちは納税義務も無く、自由で気楽な暮らしぶりだったと思います。
そんな時代の江戸での不動産業について深掘りしてみました。
江戸の土地は70%程度を武家が使用し、残りの30%程度を寺社と町人が使用していました。
土地はすべて幕領地であったため、この時代、売買取引は無かったと思われがちですが、一部の土地で売買が認められていたようです。
口入屋といわれる仲介業者が存在し、取引には、名主や五人組、奉行所の役人そして口入屋が立ち合い、沽券(売買契約書・権利証)を作成し契約を締結していました。
取引は町奉行所においても、内容を記した沽券図が作成され保管していたそうです。
この口入屋こそが、現在につながる売買仲介業の始まりではないかと思います。
また、江戸では多くの普請(建設工事)が行われ、地方から大勢の人々が集まって来たため、借家需要は高く、富裕層の商人達が競って長屋(借家)を建てました。
表長屋は、表通りに面し2階建の建物、1階が店舗で2階が住居、裏長屋は、4畳半の畳部屋に1.5畳ほどの台所が付いて、トイレ・井戸は共同という至ってシンプルなものでした。
長屋は、表通りとの出入り口には木戸があり、午後10時には閉門されていました。
裏長屋の家賃は、600文(15,000円)ほどという安さで、表長屋は、裏長屋の10倍もしたようです。
富裕層の人たちにとって、長屋は建築費が安価な割に家賃収入が高く、投資先として人気があったらしいです。
長屋の管理は、すべて大家に任せていました。大家とは、家持(オーナー)とは異なり、家持から依頼された者で、家賃の集金、建物の管理、店子の身元保証人、迷惑行為の対処、争いごとの仲裁等のほか、行政の一端も担ってました。
この大家の収入は結構高く、家持からの委託料(家賃の5%程度)のほか、トイレの糞尿の売却代や店子からのお礼など、様々だったようです。
ただ大家は、世間の慣わしや奉行所の定め事に精通した教養人でなければ、なれなかったそうです。
店子は、口入屋を介したり、現地看板や髪結床、湯屋(銭湯)などを通じて広く集客していました。
口入屋や大家の業務は、現在の不動産業務に通じるものがあるようですネ。
本格的な不動産業者が誕生したのは、明治5年に田畑永代売買禁止令が解除され、土地所有の自由が認められ、民法が制定された明治30年ごろです。
現存する最古の不動産会社としては、安田善次郎が設立した「東京建物」もこのころ誕生しています。
最近では、不動産会社もAIを駆使した業務改革が進められていますが、不動産業は、元々、人との関わりの強い仕事です。
どんな時代が来ようとも血の通った情のある対応が不動産マンには求められます。
人との関係が希薄になってきた時代、これからは、もっと、すすむのかもしれません。
矢張り、この仕事は、人とののふれ合いが基本で大事ではないかと思います。