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南薩鉄道の思い出

かつて、伊集院~枕崎間を走る南薩鉄道という私鉄がありました。
開業が大正3年、伊集院から加世田まで所要時間が1時間30分余り、当時の車両はドイツ製の蒸気機関車で、客車の座席はゴザ張り、灯はランプでした。
その後、本線は枕崎まで延伸され、阿多から知覧までの知覧線(南薩中央鉄道)も開業し、南薩地区における鉄道網は確立しました。
当時、南薩から鹿児島市までの道路は、伊作峠や川辺峠など馬車がやっと通れるほどの山の道で、時間も労力も要し、かなりお粗末なものだったとのことです。


そんな中、明治45年に加世田出身の鮫島慶彦氏が私財を投じて、有志を募り、資本金100万円で、南薩鉄道株式会社を設立しました。鮫島氏は、鉄道のみならず万之瀬川水力発電所の設立にも携わり、まさに南薩の発展に尽力した方でした。(現在、竹田神社の境内に銅像が建立されています)
南薩鉄道が戦前・戦後を通じ南薩の大動脈として、地域の発展に寄与したことは言うまでもありません。
しかしながら、時代の流れとともに、経済が回復しトラックやバス輸送が盛んになり、沿線の過疎化が進むなど、ついに、昭和58年の集中豪雨による線路被害を機に、昭和59年3月に本線は廃止されました。


私と南薩鉄道との思い出と言えば、駅は、家の近くだったこともあり、いつもの遊び場でした。
高校生になると、野口五郎の「私鉄沿線」という歌が流行ったころ、歌詞と自分を重ねて口遊みながら、沿線をよく散歩しました。
特に「♪♪改札口で君のこと・・・電車の中から降りて来る君を探すのが好きでした」ここのフレーズが気に入っていました。誰も降りて来るはずもないのに。
携帯もないころです。駅には伝言板があり、男女のカップルの「1時間も待った。もう帰ります」という、こんなメモもよく見かけました。昭和のイイ思い出です。
大学生になると帰省は、いつも南薩線を利用していました。伊集院駅でお土産の伊集院饅頭を買い、枕崎まで1時間30分程度、列車はほどよく揺れて、沿線の風景を楽しみながら、加世田を過ぎ、津貫を過ぎると車内は、枕崎弁があちこちで聞こえてきます。
かつお節の行商のおばさんたちに出くわすことも、しばしば。甲高い、ちょっとアクセントの違う話声は、枕崎に帰って来たという気持ちになる瞬間でした。


吹上高校に通う友達から、こんな話を聞いたことがあります。伊作駅からさつま湖駅までの間に傾斜の厳しい坂があります。乗客が多い時など、列車が、登り切れないこともよくありました。そんな時は決まって、学生さんたちを下車させ、線路に滑り止めの砂をまき、何回もチャレンジしてようやく登ったとか。
また、先輩たちから教えてもらった歌に、「南薩線唱歌」があります。
♪♪永吉(ながよし)顔よし、身体(からだ)よし、一目見た子に惚れちゃって、人は吉利(よしとし)言うけれど、伊作(いざく)を過ぎれば、僕のもの、上日置(かみひおき)から乗るあの子、あの子は僕の伊集院(いじゅういん)、ああー恋の南薩線♪♪
学生さんも、列車の中でいっぱいの出会いや恋もあったことでしょう。


南薩鉄道は、旧加世田駅跡に記念館が建てられており、今も当時をしのぶことができます。
一度、訪ねてみたら。きっと昭和のすばらしさが分かると思います。

南薩鉄道の思い出

南薩鉄道の思い出